妥子の留学体験記 Page1

ドイツ留学のきっかけ

93年に同志社女子大学専修生を終えた頃、私はもっと打楽器を知りたい、もっとソロの勉強をしたいと欲が出た。オーケストラへの道か、ソロへの道かそれまで迷ったけど、結局やりたい方向はその時点で決まっていた。
早速師匠に相談しながら、フランスかアメリカかオランダかドイツという方向で考えた。打楽器ソロという面でオランダかドイツと絞られた。そんな中、ドイツに打楽器ソロで留学している人がいて、師匠を通して情報を提供して頂いた。ドイツは、ほとんどの音大生がオーケストラを目指すので、ソロを勉強したい場合、学校が限られてきた。カールスルーエ(教授 中村功氏)、フライブルク(Prof .ブルフ氏)、ミュンヘン(Prof. ザドロ氏)、ケルン(Prof. カスケル氏)と候補があがった。93年冬、とりあえずコンタクトが取りやすかった、カールスルーエとフライブルクへ行ってみた。
フライブルクでWulff先生にお会いして、レッスンをしてもらい、「来年の春からまず聴講生でいらっしゃい。」と言ってくださり、早速94年の春にフライブルクへと発った。

初めての一人暮らし       

ドイツ語も全然出来なかった私は、その頃フランスで暮らしていた姉、愛子(現在フランスリール管弦楽団打楽器奏者なのです!)とベルナール(実は今の愛子の旦那です。)に手伝ってもらい銀行口座を開くことや、その他の身の回りの買出しなど、手伝ってもらった。私達はとりあえず、家の近所の銀行を探し、そこで口座を開いてもらった。ドイツは、PostBank,VolksBank,Sparkasse,DeutcheBankなどなどいろいろな銀行があるが、日本と同じように利子が違うのでいろいろ調べてから口座を開いたほうがいいでしょう。銀行にお金を預けておくことで半年か1年に一回、お金をとられるけれども、それも学生割引みたいのもある銀行があります。ちなみに私はそこに口座を開きました。。

その頃初めて一人暮らしをしたアパートは
Wulff先生が所有していたアパートを夏の受験までという期間で貸して下さったものだった。
LDKで16畳くらいのとても広い部屋(当時月々水道代電気代全て込みで760DM46000円位)にベット、机、お皿などが揃っていたのでとても助かったけど、その頃はテレビもラジオも無く、音のない生活をしていた。電話だけがひかれていて、音のなるのは電話の呼び出し音と外の車の音だった。

毎日、午前中は語学学校へ通い、午後からは音大で夜まで練習した。

聴講生という身分は、学生が練習する以外の時間の練習が可能だったため、
いつも学生が休憩する間や夜などの部屋が空く時間を待って、それを利用し、練習していた。その頃は練習の鬼というあだ名がついていたほど、狂った様に、ただただ練習し学生からは呆れられていた。今まで高校も大学も推薦入学していたので、受験をするという意識は初めての経験であり、夏の受験までの3ヶ月間は緊張でいっぱいだった。
それもドイツ語も英語も出来ないで、いきなり外国へ突入して来てしまい、今から思えば思い切った行動をしてまわりの人に大変迷惑かけてしまったと反省している。それに外人恐怖症の様なものになり、自分の周りに壁を作ってしまい、話し掛けられても解からないし、おまけに話すことも出来無い自分が情けなく自然にひとりでいることが多くなった。そして練習から自宅に戻ると広い部屋に音もなく静かでとても寂しかった。あの頃は寂しいあまり、毎日泣いていたような、とっても弱虫な私でした。

そうこうしているうちに、語学学校で知り合った韓国人のお友達が出来た。お互いつたないドイツ語を解かるようにゆっくりしゃべりながら、たまにお互いの家を行き来し、一緒にご飯を作ったりした。やっとドイツ語での会話の友達が出来たのだった。

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