妥子の留学体験記 Page8

嵐の引越し パート3

今度も必死に新聞で探した。打楽器は音大にしかないし、毎日6−8時間は練習をしていたので、とにかく音大の近くを探した。

そして、とうとう音大から歩いて4分の家を見つけた!

3階建ての大きな家で、3階は3人の男の人がWGをしていて、2階は一部屋だけ空いおりバスルームも付いていた。その2階を私に貸してくれたのです。
今回は失敗の無い様に、友達に契約の時に付いて来て貰い、

            チェック!

即、決まり!。そして、また引越し。。でもその頃は自動車1台で積める位の荷物しか持ってなかったので、楽だったものの、もう引越しにはコリゴリしていた。
他の学生は一回で良い物件が見つかり、何の問題も無く、ず〜っと住んでいるのに、何で私だけこう、運が悪いのかな、、、。って、またまた悲しかった。。。

その頃は大晦日の時期で、私は一人で大晦日を過ごし、おまけにテレビもラジオも無い生活だった為、どんなに寂しかったことか、、、、、。それに引越し騒動で散々弱気になっていたので、とっても暗い妥子でした。(まだ続く引越し。。)

甘えん坊の妥子

ドイツへ来て8ヶ月目位の頃に、この様な引越し騒動が続き、おまけにドイツ語も出来ない私は人と壁を作ってしまい、その結果、友達もいなかったのです。
打楽器科の学生は8人位いたけども、もちろんドイツ語か英語を話せないとコミュニケーションも取れないので、段々、自分から離れて行く様になってしまいました。
練習のみ、ひたすら練習のみで、誰かと一緒に休憩するなんて事もなかった。

休憩すると言えば、必ず、日本語を話す事が出来る日本人の友達としてた。「せっかくドイツにいるんだから、日本人以外の人とお友達を作りなさい!」と散々、教授に言われたけど、私にとってはそんな事より、寂しさを紛らわしてくれる居心地の良い日本人の友達といる方を選んだ。きっと教授が言いたかったのは、日本人と一緒にいる事が悪いという意味では無く、せっかく外国にいるのなら、他の国の習慣や物事の考え方などを話すと新鮮で面白いよっというモノだったのだと思う。だから日本人の友達も勿論必要で大切だけど、外国人の友達も作りなさいというアドバイスだったのでしょう。

その頃の妥子は、甘えん坊で誰かに頼っていないと何も出来ない様な情けない人間だった。だから日本人と一緒にいる方が気楽で、会話にも何の苦労もしなくていいんだからと、楽な方に自分の身を置いて行った。
その頃は生活する事や周りの環境に慣れる事で精一杯で、他のことは何も見えてなかった様に思う。
そんな弱い自分から少しづつ強くなって行った気がする。

引越しのことで散々嫌な目に遭って、そんなことを身体や心で経験すると、段々、強くなって来るモノなのでしょうか。。。。。
頑張って午前中の語学学校も欠かさず通い、そんな事から少しずつドイツ語も覚え、会話も出来る様になって来た。ドイツ人を目の前にすると緊張してしまい、変な言葉を言うと笑われるのでは、、、などと色々な事を気にして何も話せなかった私が、すこしづつ心を開いて相手の目を見て話せる様に成って行った。
ドイツ語の進歩と供に段々自分も楽になって行き、徐々に外人の友達が増え始めた。

勇気と言うモノも身に付いて来たのか、いつのまにか恐いと思うものが無くなっていて、自分を出せる妥子になっていた。思い出して見ると、やっと私がドイツに来て1年経った頃だった。

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