妥子の留学体験記 Page9

打楽器のクラス

打楽器科というのは音大の地下に部屋が4つあり、そこへ学生が集まって来て練習をする。その頃は、学生が8−9人もいたので、もちろん部屋数は足りなく、廊下や楽器室でも練習していた。毎日顔を合わせるし、休憩も一緒にするので、まるで家族の様な感覚になって来るものだ。先生が親で私達生徒は皆、先生の息子や娘といった感じで誰が今日何をしているとかを全て知っていた。毎週一回は誰かの家で集まってパーティーをしていた。もちろん打楽器のクラスのメンバーで、、、、、、。
周りからも「特に打楽器科はいつも一緒にいて仲のいいクラスで羨ましいね。」と言われている程に本当に仲が良かった。

ドイツへ来てから1年まではそんな仲間達のことも恐かったし、妥子だけはいつもはずれていた。だから私が心を開く事が出来た瞬間から、みんなが私のことを受け入れてくれた様な気がする。卒業まで後一年だけど、とても楽しい学生生活が送れるだろうと確信が持てた。そう思える様になると、何もかもとても楽しく感じられた。やっと楽しいという言葉が見つかった。

演奏旅行

フライブルク音大はWulff先生がアンサンブルを活発に行うので、1年に一回は演奏旅行というものがあった。初めてクラスで行った演奏旅行は、ドイツのリュ−べック、ハンブルク、ハノーファーのツアーだった。スティーブライヒのドラミングなどを演奏した。それぞれの土地で演奏会のあとの打ち上げの際、地元の美味しいお料理などを食べた。その頃から美味しいと感じ始めたワインを、皆と飲みながら語り合う楽しみも味わえる様になった。リュ−べックでは、生まれて初めてディスコへ行った。沢山の綺麗な観光場所へも行き、何もかも新鮮で練習や演奏する以外の楽しみというのも知った。

それに仲間という意味はこういうことなのだと知った出来事が起こった。
とあるお仕事が入り、打楽器のクラス6人ほどで演奏することになっていた。

練習合わせの頃から私は風邪をひいてしまい、他の人に迷惑がかからないよう黙っていた。それが演奏会の前の日、「みんなで明日は10時に集まって、楽器の搬入をしましょう。」という事だった。次の日10時に学校へ行くと、もう搬入がすっかり終わっていた。「なんで?」私は時間を聞き間違えたのかと焦り、みんなに謝った。みんなは、「妥子が風邪をひいてるみたいでしんどそうだったから、少しでもゆっくりして来て貰いたかったので、妥子には1時間遅めの時間を言ったんだよ。」と、優しい笑顔で言ってくれた。言葉をかけて心配するのではなく、行動で表してくれたという心使いに感動し、そしてとても感謝し、とにかくみんなの気持ちが嬉しくて泣いてしまった。その頃の仲間達は、立派なティンパニー奏者としてドイツ中のオーケストラで活躍しています。

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